埼玉の四季を綴ってまいります。故郷・北海道から仕事のため、東京へ出たのが1973年(昭和48年)。5年ほど東京に住んでいましたが、その後、埼玉へ。以後、33年近くを、この埼玉の地で暮らしています。この地が、終の棲家となることでしょう。第二の故郷・埼玉で、埼玉の四季を綴っていくことにしました。

5月5日(月) 『まる天そば』

5月5日(月) 『まる天そば』

ところ変わればというか、
場所によっては、「薩摩揚げ」も
「天ぷら」なんだねえ。

「てんぷら」で検索をしてみたら、
大阪の蒲鉾屋さん「大寅蒲鉾」
が出てきた。

この店では、下が、「天ぷら」と
なっている。


天ぷら?


こういう、魚のすり身の製品は、
私にとっては、「薩摩揚げ」なのだが…。

私にとっては、「天ぷら」とは、
下のようなものを言う。


「天ぷら」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「天ぷら」より



5月5日(月)の子どもの日、関東地方は、曇り時々小雨
といったうれしくない天気だったのだが、加須市で
大こいのぼり騎西町で藤の花が見ごろ、などという
新聞の記事にさそわれて、浦和インターから東北自動車道
に入り、加須市、騎西町方面に向かった。

途中、蓮田サービスエリアで、遅めの昼食(午後2時頃)。

チャコさんは、ラーメン。

私は、たまには蕎麦もいいなァと、「まる天そば」というのを

頼んでみた。

で、出てきたのが、コレ。


「まる天そば」
蓮田サービスエリア(下り)で食べた「まる天そば」


エッ、違うなあ!!

私は、「まる天」というのは、
まん丸い形の、かき揚げ天ぷら
(大好物!)だろうと思っていたのだが、
「まる天」て、薩摩揚げのことだったんだ。

プリプリのエビがいくつも入っていて、
しかもやわらかくて、まあ、これはこれで、
十分美味かった!


魚介類のすり身の揚げ物(薩摩揚げ)を、
関西などでは、「天ぷら」と呼ぶといった
ようなことを、何かで読んだような気は
していたが、やっぱり本当だったんだ。


天ぷら定食」
「天ぷら定食」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「天ぷら」より


騎西町の藤祭り会場の「玉敷神社」
騎西町の藤祭り会場の「玉敷神社」


白っぽい藤の花
白っぽい藤の花


藤祭りの会場まで、車を止めたところから、
20分近く歩いたのだが、道沿いの藤棚の脇
には、落ちた種から、実生がいっぱい出て
いて、いくつか拾ってきた。


藤の実生
藤の実生(みしょう)。

いつか大きくなるんだろうが…。

マ、せいぜい、元気でがんばろうかネ。

powered by Quick Homepage Maker 4.71
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional